札幌から稚内まで、オロロンライン北上旅 … 天塩川歴史資料館
1951年に建築された旧役場庁舎を利用し1989年に開館した資料館です。レンガ造り、地元では『赤レンガ』として親しまれていたそうです。さて、天塩町とはどんなところなのでしょうか。明治の開拓期は小樽から途中を経由し天塩に至る航路が開設されました。小樽以北の日本海沿岸は小樽と結ばれる航路が重要でした。当時の北海道の経済の中心である小樽と直接つながっていることが経済の発展に欠かせなかったのです。天塩が他の地域と違ったことは、天塩川の河口にあったこと。小樽からの物資や人はここから『長門(ながと)船』と呼ばれる船で天塩川の奥地に運ばれました。海運は天塩の先、稚内を経由してオホーツクへ、あるいは利尻・礼文などへと延びています。これにより天塩は海運と舟運の交通の結節点として栄えることになり、道北の中心都市の一つとして栄...札幌から稚内まで、オロロンライン北上旅…天塩川歴史資料館